はたして、川端康成はこの作品を通して何を言いたかったのか、もしかしたら、そのような问いが无意味な小说なのかもしれない 。やはり诗なのか 。
何よりもこの小说をあいまいなものにしているのは、岛村であり、そして叶子である 。岛村はこれといった生业についておらず、舞踊についての翻訳をしてそれを自费出版するような人间である 。
亲から受け継いだ资产があるから生活の心配はいらない 。妻子はあるらしい 。
东京のどこに住んでいるかはわからない 。夏目漱石のいう高等游民みたいな生活を送っている 。
いろいろなところを旅行して、そして、雪国でたまたま出会った驹子といい仲になって、それから雪国に通うようになる 。1年に1回、七夕の日に出会う牵牛星と织女星のようなものだ 。
「雪国」は叶子で始まり叶子で终わっているといってもよい 。その叶子とは何ものであるのか 。
最后まで読んでも、驹子と叶子の関系はあきらかにされていない 。叶子と驹子と驹子の师匠の息子と三角関系にあったようでもあるし、そうでもないらしい 。
不思议である 。叶子は実体がないのに、その存在感は圧倒的である 。
叶子がこの「雪国」の主人公といっていいくらいだ 。事実、岛村も叶子に惹かれていく 。
岛村と叶子は関系をもったのか、その描写はないがあってもおかしくはない 。驹子は现実的な女として描かれている 。
驹子には生活の臭いがし、そして体を张ってお金を稼いでいる 。酒の臭いがぷんぷんと漂ってくる 。
ところが叶子には驹子が放つような臭いがない 。叶子の全存在はその声にあるといってもよい 。
小说の冒头、岛村の乗った汽车が信号所にとまったとき、岛村の前のガラス窓を落とし、「駅长さあん、駅长さあん 。」と远くへ叫ぶ娘がいる 。
その娘が叶子なのである 。岛村にはその声はとてつもなく美しいものとしてかれの脳里に残る 。
叶子の声が作品の中で何回となく涌き上がってくる 。叶子は悲しいほど澄み通って木魂(こだま)しそうな声で歌う 。
蝶々(ちょうちょう)とんぼやきりぎりす お山でさえずる 松虫铃虫くつわ虫 そして、叶子は手鞠歌も歌う 。???? ???? 里へ出て见たれば 梨(なし)の树(き)が三本 杉(すぎ)の树が三本 みんなで六本 下から乌(からす)が 巣をかける 上から雀(すずめ)が 巣をかける 森の中の螽
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