1. 关于日本温泉文化的日文材料 日本と海外で温泉はどう违うか 第9回 国际温泉评论家を名乗ると皆さんから质问がくる 。
よくある质问(FAQ)の中から今回は日本と海外の温泉の违いを自称评论家の视点から语ってみよう 。いわば国际温泉比较文化论の真髄でもある 。
先ず「汤」という言叶から 。国际温泉评论家に対するよくある质问(FAQ)トップ3というのがあって、前回それらの概要と第1の质问について语った 。
今回は2番目の质问である「海外の温泉は日本のと违うんでしょう?」という质问、即ち日本の温泉と海外の温泉の违いについてお答しようと思う 。こういう素朴な质问に対しては色々な答え方があるのだが、评论家の肩书に耻じない答えを分りやすくというのも、书き始めてみると难しい 。
考え方や习惯の违いは一般に文化の违いということで语られる 。格好をつけて言えば文化人类学の中の比较文化论である 。
大袈裟な表现で気が引けるが、水浴びや汤浴みなど人类はおろか、动物共通とも言える行动に基づいた温泉入浴に、どうして民族や地域での违いがでるのかを语ろうとすると、やはり文化と言う切り口になるのである 。「文化の违いなど分からなくてもいいや」という方には、温泉の违いは「涌出る温泉や鉱泉の使われ方(利用に仕方)に违いが见られる」程度のお答で良いのかも知れない 。
しかし今や世の中グローバリゼーションの波に乗って、温泉文化も急速に国际化が进んでいることを知って顶こう 。海外の温泉では日本の“ONSEN”ブームが起っているし、日本でも温泉が「スパ」になり、やがてサウナ、マッサージ、美容、グルメが温泉の主要メニューになり、裸で混浴の露天风吕が普及してくるに违いない 。
文化は言叶で作られる 文化とは文字通り「文」が関系する 。文は言叶(単语)のつながりで构成されるのであるから、言叶が违えば文化が异なる 。
例えば日本と韩国のように、隣接した国でも言叶が大きく违うので、文化はまるっきり违うのである 。日本人が开発したという温泉でさえも、今では脱衣所や浴室での风景にかなりの违和感を覚えるのである 。
ましてや日本语とラテン语系の国で文化が违うのは仕方があるまい 。日本には「汤あみ」という言叶がある 。
「汤」と言う概念があるからであって、「汤」の概念の无い多くの民族では水浴になる 。この「汤」という概念があるかないかで温泉文化が変ってくる 。
「ゆ」は和语であろうが、同じ概念の「汤」は中国からの汉字である 。白楽天の长恨歌で有名になった、かの杨贵妃が入浴した「元祖美人の汤」华清池には、ちゃんと「汤」が涌いていた 。
西洋には「汤」という概念がない 。単に「水」が热いか、暖かいか、冷たいかである 。
「汤」概念の有无の违いは、高温の水(温泉)が生活环境の近傍で自然涌出している场所の密度の违いから来ていると思われる 。入浴に関系する言叶として兴味のあるのは「裸」である 。
日本语は「はだあか」という、いわゆる全裸を意味する和语が略されて「はだか」になり、汉字の「裸」を使うようになった 。そしてこの裸には类语がない 。
裸はどこでも裸なのである 。しかるに例えば英语ではどうだろう 。
「ヌード(nude)」は主として芸术用语、「ストリップ(strip)」は裸になること、「ベア(bare)」は衣服をつけていないことで、日本语の裸に近いのは「ネーキッド(naked)」という 。すなわち类语が沢山あり适宜使い分けねばならない 。